親戚と行く『昔懐かしの味堪能ツアー』
行って参りましたよ、親戚と行く『昔懐かしの味堪能ツアー』。
インドネシア人は、けっこういい加減なくせして、遊びのハナシは必ず実行します。
口先だけってことは、まずあり得ません(うちの親戚だけかもしれないけど)。
このツアーの主旨は、夫が学童だった頃、たまぁにしか食べられなかった素朴な外食インドネシア料理を食べまくろう、というものです。夫が子供の頃の食堂が、今でも健在ってのは驚きですけど、美味しいからこそ流行っている、なので潰れないんでしょうね。親の代から続けているところも多いそうです。
近い親戚のみに声をかけまして、それでも総勢35人くらい集まりました。
夕方、夫の実家に集まりまして、さっそく開始です。
一発目は、『ナシ・ブンクス』。
紙にご飯とおかず数品を包んだ、シンプルなインドネシアを代表する食べ物です。
実家の近所の屋台ですが、予備を含めて50個注文したところ、店のオヤジは仰天したそうな。
うちの近所のものと同じくらいの値段(7000ルピア・約70円)ですが、肉の量と柔らかさが全然違いました。
味付けも昔とちっとも変わっていないらしくて、20年ぶりにコレを口にした夫は、とても感動していました。
これは、お皿がいらないので、洗物もスプーンのみで、たいした楽です。
インドネシア人も、最近は手を使って食べなくなりました。
このナシ・ブンクス、量が多いので、けっこうお腹がいっぱいになりましたが、第2弾として午後9時過ぎに『イカン・バカル(焼き魚)』を始めました。
以前は焼き物はシス兄さんの担当と決まっていたのですが、シス兄さん亡きあと、魚を炭で焼く任務を息子のダニ君(高3・左下)が引き継ぎました。「あら、ダニ、できるの・・・!?」などと言ってフィファ姉さんは、なんだかウルウルした目で息子を見つめていました。
翌日は朝五時に起きて市場までのウォーキングが計画されていたので、いつもだと賭けカードに走る者たちもとっとと寝たようです。
そして、翌朝、ほんとにウォーキング行くの!?と半信半疑だったのですが、ちゃんとみんな起きてきましたよ。
うちの二人の息子は爆睡していたので、参加しませんでしたが。
歩くこと30分、目的の市場に着きました。一時間くらいかかるかと思っていたのですが、案外近かったです。
ここでは、『ラウォン』の朝食です。
『ラウォン』とは、クルウォという一見貝みたいな木の実を調味料の素として作る、黒っぽい色をしたスープのぶっかけご飯です。
私はあんまり好きではないのですが、この『ラウォン』はとても美味しかったです。
このお店も20年以上前からあるらしく、早朝だというのに、お客さんがいっばいでした。
さて、運動の後の腹ごしらえもしたし、帰りは歩くのは面倒くさい、ということでちょっと豪華な車をチャーターしました。
あ、きたきた。これです!
これは、クレタ・クリンチ(うさぎ列車)といって、チビッコにはお馴染みです。
お母さんたちなら、子供の幼稚園の行事とかでよく乗っているのですが、お父さんたちは初めての人が多かったですね。感動してましたよ、子供に戻ったみたいだって。
先頭には顔のデカいバット・マンが乗っていました。
親戚でチャーターする人ってめったにいないでしょうね。
ベチャ(人力車)に分かれて乗るよりも安かったんです。
これで、実家の近所まで帰って来たので、なんだか注目を浴びてしましましたよ。
家についてからは、男性陣はマッサージです。
近所に盲目のマッサージ師がいて、腕がいいと評判なので、この人もチャーターして、希望の人は交代でマッサージしてもらってました。
そして、昼食です。
『ルジャ・キキル』(牛の足と野菜のプテスという臭い調味料和え)です。
ただし、これはクセがある料理なので、子供たちや私はバソッ(肉ダンゴスープ)にしました。
ね、なんだか、臭そうでしょ!?
色が茶色ってところも、何かを想像させるし。
でも、夫たちは大好きで、舌鼓みしながら食べてましたよ。
こっちは、『バソッ』です。インドネシアではとても有名な食べ物です。
日本の肉だんごとは、ちょっと違う感じですけど。
あ~、一泊二日でしたけど、近場での泊まりはフィラとかに行くより楽でしたね。
なんだか、「これからも、月に一度は場所を変えて、開催しよう!!」と言い出した人(夫だ!)がいて、
私のまゆが微妙に動いてしまいました。
インドネシア人は、けっこういい加減なくせして、遊びのハナシは必ず実行します。
口先だけってことは、まずあり得ません(うちの親戚だけかもしれないけど)。
このツアーの主旨は、夫が学童だった頃、たまぁにしか食べられなかった素朴な外食インドネシア料理を食べまくろう、というものです。夫が子供の頃の食堂が、今でも健在ってのは驚きですけど、美味しいからこそ流行っている、なので潰れないんでしょうね。親の代から続けているところも多いそうです。
近い親戚のみに声をかけまして、それでも総勢35人くらい集まりました。
夕方、夫の実家に集まりまして、さっそく開始です。
一発目は、『ナシ・ブンクス』。
紙にご飯とおかず数品を包んだ、シンプルなインドネシアを代表する食べ物です。
実家の近所の屋台ですが、予備を含めて50個注文したところ、店のオヤジは仰天したそうな。
うちの近所のものと同じくらいの値段(7000ルピア・約70円)ですが、肉の量と柔らかさが全然違いました。
味付けも昔とちっとも変わっていないらしくて、20年ぶりにコレを口にした夫は、とても感動していました。
これは、お皿がいらないので、洗物もスプーンのみで、たいした楽です。
インドネシア人も、最近は手を使って食べなくなりました。
このナシ・ブンクス、量が多いので、けっこうお腹がいっぱいになりましたが、第2弾として午後9時過ぎに『イカン・バカル(焼き魚)』を始めました。
以前は焼き物はシス兄さんの担当と決まっていたのですが、シス兄さん亡きあと、魚を炭で焼く任務を息子のダニ君(高3・左下)が引き継ぎました。「あら、ダニ、できるの・・・!?」などと言ってフィファ姉さんは、なんだかウルウルした目で息子を見つめていました。
翌日は朝五時に起きて市場までのウォーキングが計画されていたので、いつもだと賭けカードに走る者たちもとっとと寝たようです。
そして、翌朝、ほんとにウォーキング行くの!?と半信半疑だったのですが、ちゃんとみんな起きてきましたよ。
うちの二人の息子は爆睡していたので、参加しませんでしたが。
歩くこと30分、目的の市場に着きました。一時間くらいかかるかと思っていたのですが、案外近かったです。
ここでは、『ラウォン』の朝食です。
『ラウォン』とは、クルウォという一見貝みたいな木の実を調味料の素として作る、黒っぽい色をしたスープのぶっかけご飯です。
私はあんまり好きではないのですが、この『ラウォン』はとても美味しかったです。
このお店も20年以上前からあるらしく、早朝だというのに、お客さんがいっばいでした。
さて、運動の後の腹ごしらえもしたし、帰りは歩くのは面倒くさい、ということでちょっと豪華な車をチャーターしました。
あ、きたきた。これです!
これは、クレタ・クリンチ(うさぎ列車)といって、チビッコにはお馴染みです。
お母さんたちなら、子供の幼稚園の行事とかでよく乗っているのですが、お父さんたちは初めての人が多かったですね。感動してましたよ、子供に戻ったみたいだって。
先頭には顔のデカいバット・マンが乗っていました。
親戚でチャーターする人ってめったにいないでしょうね。
ベチャ(人力車)に分かれて乗るよりも安かったんです。
これで、実家の近所まで帰って来たので、なんだか注目を浴びてしましましたよ。
家についてからは、男性陣はマッサージです。
近所に盲目のマッサージ師がいて、腕がいいと評判なので、この人もチャーターして、希望の人は交代でマッサージしてもらってました。
そして、昼食です。
『ルジャ・キキル』(牛の足と野菜のプテスという臭い調味料和え)です。
ただし、これはクセがある料理なので、子供たちや私はバソッ(肉ダンゴスープ)にしました。
ね、なんだか、臭そうでしょ!?
色が茶色ってところも、何かを想像させるし。
でも、夫たちは大好きで、舌鼓みしながら食べてましたよ。
こっちは、『バソッ』です。インドネシアではとても有名な食べ物です。
日本の肉だんごとは、ちょっと違う感じですけど。
あ~、一泊二日でしたけど、近場での泊まりはフィラとかに行くより楽でしたね。
なんだか、「これからも、月に一度は場所を変えて、開催しよう!!」と言い出した人(夫だ!)がいて、
私のまゆが微妙に動いてしまいました。